単身赴任中の皆様、本日も本当にお疲れさまです。60歳のあまべんです。
50代の単身赴任。
それは、仕事の責任が最も重くなる季節と、子どもの進学や親の介護など、家族が最もサポートを必要とする季節が、皮肉にも重なってしまう時期でもあります。
「仕事で全力を尽くしたい」という責任感と、「家族のそばにいてやれない」という罪悪感。
この二つの感情に引き裂かれ、まるで綱渡りのような毎日を送っている方も、少なくないのではないでしょうか。
今回は、この重いテーマに対して、私の6年間の単身赴任生活が導き出した、少し意外な、しかし確信に満ちた答えをお話ししたいと思います。
「亭主元気で留守がいい」——我が家にとっての真実
「亭主元気で留守がいい」
恐らく、私の妻は心のどこかでそう思っているんじゃないか。
そして正直に言えば、私自身もそう感じています。
もし、あのまま私がずっと家にいて、お金のことでギクシャクした関係を続けていたら……。
そう想像すると、少しだけゾッとします。
単身赴任という選択が、結果的に私に「自分自身を深く見つめ直す時間」を与えてくれました。
もちろん、すべての家族に当てはまるわけではないでしょう。
しかし少なくとも我が家にとっては、「離れて暮らす」という選択は、決してマイナスだけではなかった。
その証拠に、今の私には、一つのささやかな確信があります。
帰省して家族と過ごす時間。
それは、ずっと家にいた頃よりも、明らかに家族の絆や結びつきが強くなっている、と感じるのです。
私には二人の息子がいますが、今でも「温泉行こか」と誘うと、二人とも黙ってついてきます。
「なんか食べに行こか」と言っても、当たり前のようについてくる。
20歳前後の息子たちが、父親とのそんな時間を面倒くさがらずに共有してくれる。
これが当たり前ではないことを、私自身が一番よく知っています。
離れて暮らしているからこそ、たまに会える時間が、お互いにとって特別なものになっているのかもしれません。
そばにいられないからこそ、できること
60歳まで会社勤めを全うすること。
子どもたちが成人するまで、親としての責任を果たすこと。
この二つは、私が自分に課した最低限の約束でした。
単身赴任で、子どものそばにずっといてやることはできなかった。
家にお金がないことも、彼らはなんとなく気づいていたのでしょう。
あまり無理も言わずに、育ってくれました。
そんな彼らが、これから社会に出ていく。
そのために役立つ資格を取りたい、何かを学びたい、と言うのであれば、私は喜んで援助します。
そばにいられない分、遠くから、しかし全力で彼らの未来を応援する。
そんな風に思えるようになったのも、ひとえに単身赴任先で「破綻しない仕組み」を自分の体に沁み込ませることができたからです。
必要な出費は先に確保し、残りで生活を組み立てる。
この「コツコツ脳」が、私に経済的な余裕だけでなく、子どもを信じて応援できる心の余裕をもたらしてくれました。
「罪悪感」を「未来の夢」に変える、お弁当という名の自己管理ツール

仕事の責任と家庭への罪悪感。
この葛藤があるからこそ、私は未来を夢見ます。
たとえば、パタヤでの長期滞在。
そして、帰省したときに家族と過ごす時間。
その夢を実現するために、日々の仕事では「完璧」を目指さず、「破綻しない」ことを目指す。
そのための自己管理ツールが、この弁当なのだ——。
まさに、これこそが私の結論です。
家族への罪悪感は、消そうと思って消えるものではありません。
しかし、その罪悪感を、未来の家族との楽しい時間を実現するための「エネルギー」に変えることはできます。
「すまない」という気持ちを、「ありがとう」というご馳走に変えるために、今日も私は自炊をする。
「そばにいられない」という現実を、「だからこそ、自分の足で立つ」という覚悟に変えるために、今日も私はお弁当を作る。
この日々の自己管理こそが、「私は大丈夫だ」という無言のメッセージとなり、遠く離れた家族に何よりの安心を届けてくれるのだと、私は信じています。
まとめ:単身赴任が終わっても、旅は続く
単身赴任が終わっても、私はずっと家にいるつもりはありません。
この6年間で、私は「挑戦する」ことの楽しさを、もう一度思い出してしまったからです。
最近、「リゾートバイト」のような形で、旅先でお手伝いをしながら、宿泊費や食費を賄える働き方があることを知りました。
数ヶ月働いて資金を貯め、数ヶ月パタヤで過ごす。
そんな「季節労働者」のような軽やかな生き方も、悪くない。
体が自分の思い通りに動くのは、70歳まで。私は、そう思っています。
私の父は晩年、寝たきりに近い生活が長く続きました。
訪ねていくたびに、力なく天井を見上げながら、父はこう漏らしていました。
「毎日、天井ばっかり見てる生活は、もう嫌や」
その言葉を聞くたびに、私は胸の内で強く思いました。
「自分は、ああはなりたくない」と。
もちろん、こればかりは神のみぞ知る領域です。
どれだけ健康に気をつけていても、病や怪我で父と同じ道を辿る可能性はゼロではありません。
それでも——。
「あの時、こうしておけば良かった」と後悔しながら天井を眺めるのではなく、
「やりきったな」と笑いながら天井を眺められる。
そんな人生の終幕のために。
父のあの寂しそうな背中が、今も私の背中を押してくれているのです。
単身赴任という、予期せぬ旅。
それは私に、「亭主元気で留守がいい」という最高の家族の距離感と、**「自分の人生は、自分でデザインし直せる」**という、かけがえのない自由を教えてくれました。
私の旅は、まだ始まったばかりです。
🔜 次回予告:第8話「体力の衰えと働き方」
50代からの“のらりくらりでも逃げ切るペースのつくり方”
若い頃のようには頑張れない。
でも、何もできないわけでもない。
体力の落ち方と向き合いながら、どう働き、どう生きるか。
台所の仕組みと仕事のペースの整え方から、“逃げ切り戦略”を語ります。


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