単身赴任中のみなさま、今日もお疲れさまです。60歳のあまべんです。
一本の電話が、怖かった。
単身赴任が始まって間もない頃は、妻からの着信に、心臓が嫌な音を立てる日々でした。「またお金の話やろな…」。子どもの学費、家の修繕費、そして二重生活の費用。収入の範囲で暮らせず、足りない分を借金で埋める生活を妻には言えず、空元気で「了解!わかった!」と繰り返していた日々がありました。
その時は自転車操業ながらも「一攫千金」という甘い言葉の魔力に囚われていました。
「一発当てれば、全部チャラやろ」
それは「お金」ではなく「依存」という名の、底なしの沼でした。増えればもっと欲しくなり、減れば「取り返そう」とさらに深く沈んでいく。
若い頃の私は、「元気で働けるうちは、金なんか後からついてくるやろ」と本気で思っていました。
また「老後にお金あってもしゃあないやろ」とも…。今思えば、ちょっと笑えんレベルの開き直りで生きていました。
……はい。今の自分から見れば、若気の至りフルコースです。
そのツケは、数百万円の借金となり、ちょうど子どもの学歴が一番かかる時期と、単身赴任の二重生活の家計を直撃しました。
そこからどうやって抜け出してきたのか。
そして今、なぜ「お金の不安」よりも「これからの楽しみ」を考える時間の方が増えたのか。
今回は、そのお金との付き合い方を、できるだけ包み隠さず書いていきます。
「一度に全部使わず、次へ回す」という抵抗
最後のパタヤでこれまでの自分と決別し、「とにかく使わない生活」に振り切ろうと単身赴任がスタートしました。
赴任先での生活はひとつだけ、「もう、これ以上は一円でもムダにせぇへん」
ここから、徹底的にお金を使わない生活を始めました。
- コンビニに行かない
- ファストフードに行かない
- 外食はしない
スーパーは3〜4軒をはしごして、どこで何が安いか、何曜日・何時ごろに値引きシールが貼られるかを頭に叩き込んでいきました。
定価では絶対に買わず、値引きされた総菜や肉・魚を狙う。
そこで買ったものは一度に全部使わず、半分は次の食事に回す。
この「一度に全部使わず、次へ回す」という感覚は、今の私のお弁当生活の原型になっています。
朝作る出汁巻き卵を半分だけ夜に残す「夜の仕掛け」も、ここから生まれました。
ただ、ここまで切り詰めても、借金が減るわけではありません。
想定外の出費が重なるたびに、心臓がキュッとなるのを感じていました。
収入の範囲を超えて生活し、足りない分は借金。
それでいて一発逆転の一攫千金を夢見る——破綻まっしぐらのコース。
今振り返れば、よく毎日を送れていたな、と本当に思います。
人生逆転の転機は「会社の外」にあった
本当の転機は、コロナ禍のタイミングでした。
思わぬ昇進をしたものの過酷な職場で部下がメンタルダウン。
その責任を取る形で、私が再転勤。しかし再転勤先は、コロナの影響で本業の仕事が激減して やることが無い状況になりました。
「時間は出来たが、これはこれで苦痛と不安だらけだ」
ここで私は思い切りました。
「よし、一回会社の外で稼いでみよか」
そう決めて、Uberの配達員を始めました。
会社の看板を背負わない。
嫌な上司もいない。
走った分が、そのまま自分の収入になる。
この「社畜ではない働き方」は、驚くほど自分をワクワクさせてくれました。
「あ、オレ、まだ自分の力で稼げるんや」
「稼ぐって、しんどいだけやなくて、こんなに自由で楽しいんや」
そう感じた時、私の中の「お金」という存在意識が変化していきました。
同時に、YouTubeで学んだことを徹底的に実行します。
- 生命保険の見直し(掛け捨てだけにする)
- 大手キャリアから、格安SIMへ乗り換え
この「固定費のダイエット」だけで、なんと毎月5万円以上の出費を削減できました。
Uberの収入と、固定費削減で浮いたお金。
この2つのおかげで、ようやく「借金を増やさず、生活を回せる」ところまで持っていくことができました。
このタイミングで、私は家計の全体像を一本の表にまとめました。
- 手取りの収入
- 固定費
- 子どもが大学を卒業するまでに必要な学費・仕送り
- いつ、どのタイミングでお金が増え、どこで減っていくか
この一覧表を妻に共有しました。
「ギリギリやけど……逃げ切れるかもしれん」
という、細いけれど確かな光が見えた瞬間を、今でもよく覚えています。
「コツコツ」の威力を思い知らされた二つの出来事
借金を一本化し、Uberの収入で返済を進めていたある日、取引先との付き合いで仕方なく始めていたiDeCoの明細書が目に留まりました。
正直なところ、存在すら半分忘れていた口座でした。
掛金も少なく、年間で十数万しか口座にないはずでしたが——
3年ほどで、運用益が約180%になっていたのです。
この数字を見た時、私は雷を打たれたような衝撃を受けました。
「ああ、“お金が欲しい欲しい”って追いかけてるうちは、絶対に貯まらんのやな」
本当にお金が貯まる方法は、たぶんひとつだけだと思い知りました。
“存在を忘れてしまうくらい、『コツコツ』そして無関心でいること”
そして、なぜか毎月1,000円だけ放り込んでいた純金積立がありました。
こちらも、正直全くチェックしていませんでした。
今残高を見てみたら、思わず笑ってしまうくらい増えていたのです。
「あ、これは……内緒のパタヤ資金にしてもええかもしれんな」
心の中でそうニヤリとした瞬間、「ああ、これが“お金に追いかけられる”生活と、“お金をうまく使う”生活の違いなんかな」と、ストンと腑に落ちました。
台所から始まった「積立」と「ごちそう貯金」

借金を完済したあとも、私は台所で生まれた“仕組み”を変えませんでした。
- 旧NISAから続けてる毎月3万3千円の積立は継続(過去の自分への戒め)
- Uberの収入は、原則として全額NISA口座へ
- 自炊で浮かせた外食費の差額から、妻子との「ごちそう貯金」へ
つまり、「節約」→「自動積立」→「家族のごちそう時間」という、お金の良い循環を回す仕組みができあがったのです。
実際には、毎朝の弁当づくりと夜の強制帰宅へ導く仕掛け、作り置きおかずとファイトケミカルスープのおかげで、健康と無駄を省く生活を自炊でまかなえています。
「普段は徹底的に節約してるから、帰省時ぐらいは気にせず食べよか」
そう思いながら家族と囲む食事は、何にも代えがたい時間です。
この仕組みが回るようになってから、お金に対する不安は全くゼロにはなりませんが、「ちゃんとコントロールできている」感覚が、少しずつ心に根を張るようになりました。
まとめ:のらりくらりでええ。未来はまだ描き直せる。
来年から、私の給料は半分以下になります。
それでも、不思議と不安はあまりありません。
- 今の生活を続ければ、「貯蓄が増えなくなる」だけの話
- これまで積み上げてきた資産には、基本的に手をつけず、完全リタイアまで運用できる見込み
- 年金の繰上げ受給で住宅ローンを支払う計画
父の介護を通して、医療費の重さも見てきました。
だからこそ、将来は「住民税非課税世帯」になれるような設計も視野に入れています。
若い頃に投機で失敗し、家族に迷惑をかけたことは、今も胸がチクッとします。
それでも、私はあの経験を後悔していません。
人生を狂わせかけた経験こそが、二度と人生を狂わせないための“最強のワクチン”になった。
そう思っているからです。
単身赴任の台所から、すべてが始まりました。
だから私は、今では心からこう思っています。
「単身赴任になって、良かったな」と。
のらりくらりでええんです。
未来は、50代からでもまだ描き直せます。
🔜 次回予告:第7話「仕事と家庭の距離をどう埋めるか」
第6話では、お金の不安を“仕組み”で整える話をしました。
しかし、単身赴任の悩みは「お金」だけではありません。
次回、第7話のテーマは——
仕事と家庭の両立の難しさ
仕事の責任が重くなる一方で、家族のそばにいられないもどかしさ。
サポートが必要な時期に不在であることへの、どうしようもない罪悪感。
そんな思いを抱えたまま、「それでも、離れた場所からできることはあるのか?」という問いに、自分なりの答えを探してきました。
- 単身赴任でも「ちゃんと支えている」と思える関係づくり
- 完璧な親にはなれなくても、「向き合おうとしていた親」にはなれるんとちゃうか
そんな話を、第7話で綴っていきます。
ほな、今日はここまで。
お金の不安ごと、ちょっとだけ笑い飛ばしながら、のらりくらりと行きましょか。
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「今日も出来た」 の積み重ね。よかったら覗いてください。


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