悪くないかも、から 始まる景色がある。 あまべん
2026年4月。
6年間の単身赴任生活を終え、我が家へ帰還した。
「第二の青春」の幕開けだ、と意気込んで始まった新しい生活だったが、現実は想像以上に摩擦と葛藤に満ちていた。
孤独な城から家族との共有スペースへ。すべてを自分で決められる立場から、周囲と調整しながら動く立場へ。
この1ヶ月は、新しい「火加減」を探り続ける日々だった。
家族との「適度な距離感」
我が家に戻って最初のパンチは、台所の主導権問題だった(笑)。
6年間、私の聖域やった自分だけの城であった台所が、妻の領土を借りる立場に変わった。洗いもん一つで文句を言われる始末や(笑)。
そして、嫁も仕事を持ち、次男もアルバイトで稼ぐようになった我が家は「仕事の日は各自で晩ご飯を用意する」というルールを導入した。
仕事をして帰ってきてから食事を用意するのはお互いにしんどい。なので無理をせず、お互いのペースを尊重するこの「大人のルール」が、ストレスを溜めず、これから永く円満に暮らす秘訣だと気づかされた。
翌朝の米を砥ぐ生活から、今晩の米を砥ぐ環境に変わった。帰ってきた時に誰かがいるとは、そういうことなのだと思う。
「親のせいにしない」と言った息子
4月のある週末、家族で外食に行った時のこと。
離れて住んでる長男が近々手術を受けることを知った。遺伝的な体質の手術で、費用は自分で稼いだお金で払うという。
「私に遺伝しておけば良かったのにな」と、親としてふと思った。彼は「親のせいにしない」と言っていたが、その言葉が逆に、私の中で消化しないまま残った。口には出さないが、理不尽な体質に対するやり場のない思いを抱えてきたのだろう。
それを一人で決断し、自分で手術費用を払って解決しようとする姿に、いつの間にか自立した大人の男になっていたのだと気づかされた。
腫れ物扱いするつもりはない。親としてできるのは、彼が静養のため帰省している間に、黙って旨い飯を食わせることぐらいだ。
見てくれている人はいた
4月から始まる新しい職場での最大の関心事は「新たな景色が見たい」という気持ちだったが、脆くも初日で木っ端みじんに崩れ去り、残ったものは地元にもかかわらずアウェー感との戦いであった。
「孤立した業務のため周りからは何をしているか分からないと思われている」。その閉塞感が続くのは、想像以上に堪えた。
しかし、今後の業務分担を決める会議で、私の特殊な業務に同行して現場を見ていた上司が、業務内容と業務量を代弁し、当面は余計な負荷をかけないよう取り計らってくれた。
言葉で説明しなくても、現場を見た人は理解してくれる。孤立していると感じていたが、ちゃんと見てくれている人はいたのだ。と同時にこの業務が無かったら・・と思う自分がそこにいた。
孤立した業務が教えてくれたこと
4月、私の孤立した業務が本格的に動き出した。2年目に突入したこの業務はもう「ゼロから1ではなくなった」。ゼロから積み上げた私の経験を次の誰かへ移していかないといけない。
今の私に権限はないが、見届けることはできる。それが、今の私にできる一番の向き合い方なのだと思う。
「悪くないかも」— OB会と師匠
4月の後半、会社のシニアゴルフコンペに初参加した。
正直、行く前は気が重かった。しかし、ゴルフ場にいたのは「私の知ってる昔の顔」ではない人たちだった。退職後に自分で事業を始めた先輩たちもいた。そして最年少は私だった(笑)。
独りも大事だが、家族や親友以外の人が周りにいることも、思ってたほど悪くはないかもしれない。管理職時代に人間関係で深く傷ついてから、ずっと「人と関わりたくない」と思い続けてきた。でも、時間は過去の記憶を変えるのだと、この日初めて感じた。
同じ週、タイの楽しみを教えてくれた師匠と7年ぶりに再会した。話をすると、お互いに旅の目的が変わってしまい、交わる部分がなくなってしまった。と互いに感じた。でも「行きか帰りの1泊でも」という気持ちは一致した。
その師匠は70歳になっていた。帰り際に、「私が誘わなければ、誰も誘ってくれる人が今はいない」と師匠が言った言葉がずっと私の頭から消えなかった。
人との距離感は難しい。でも、7年ぶりでも「会いませんか」と声をかけられる関係は、たぶん一番いい距離なのだと思う。
「週末は返信しない」— 新しい仕組み
4月のある土曜日、それまでの習慣でメールチェックをしたら大量のメールが届いていた。
すぐにでも返信した方がええやろな、と思ったが返信せずパソコンを閉じた。
「週末は仕事のメールを返信しない」。私自身の環境が変わったのに行動が変わらなかったら、心と生活のリズムは簡単に破綻する。
実際に、週末に返信しなくても週明けで十分処理ができた。弁当のストックと同じだ。週末に仕込んでおけば、平日が朝から回るようになる。
給料明細と、それでも作る弁当
覚悟はしていた。でも、最初の給与明細を見た夜は、やはり愕然とした。
夜にそれを見てしまったので、一瞬だけ気分が沈んだ。でも普段通りに寝て、翌朝はいつも通り起きて弁当を作った。
無心になれる朝があれば良い、夜はあかん。弁当という「仕組み」は、こういう時にこそ効く。
切替えて備えとして、ふるさと納税を実用品一択で一気に済ませた。醤油に料理酒に味醂に梅干し。贅沢品ではなく、毎日使うものを賢く調達する。これも単身赴任で学んだ知恵だ。
「作家」としての産声
そして4月、小さな手応えがあった。
Googleから、このブログの検索結果への表示が始まったという通知が届いた。たった1通のメールだが、毎週コツコツと記事を書き続けてきた結果が、目に見える形になった。
3月末に出版したKindle本『単身赴任の心得:31日の処方箋』にも、読んでくれた方が現れた。
たった数十ページの閲覧かもしれない。ブログのビューもまだまだ少ない。
しかし、半年前まで「やったことがない」ものだったAIとの共創や出版が、今では「やったもの」になり、どこかの誰かに届き始めている。
メタボへの逆襲
大阪に戻り、腹回りは危機的状況を迎えていた。3年連続の特定保健指導(笑)。
原因ははっきりしている。1回に食べる量が多すぎるのだ。
食事の順番を「野菜→タンパク質→ご飯(最後)」に変え、茶碗を一回り小さくした。さらに、ゴルフを健康促進と体力増強の軸に据えることにした。
還暦を過ぎても、やり直せないことはない。
これから(5月へ)
明日から5月。GWは、学生時代からの親友と地方遠征ゴルフで始まる。
会社のしがらみには1円も時間も使わないが、魂が喜ぶ友人や家族との時間には、惜しみなく投資する。
OB会で出会い直した先輩たち。7年ぶりに再会した師匠。そして手術後の療養で帰ってくる長男と、毎晩ソファで爆睡している嫁(笑)。
この4月は、大人しくしていたつもりが、振り返ると結構動きがあった。
環境が変わり、リズムが崩れかけ、葛藤した1ヶ月。でも、だからこそ記事になった。
5月も「出来た!」の弁当を鞄に詰め、相棒の原付のエンジンをかけ、第二の青春をのらりくらりと駆け抜けていく。


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